あれから、1年。
訓練生活が始まり、1年が経ちました。
あの「非」日常だと思っていた時間が、
気づいたら日常になりました。
訓練生活は本当に久々の青春だったし、あの70日間があるから今があるとも思ってるし、もうやりたいとは思えないけど(笑) 今でも大切な時間です。
この1年を振り返ると、とにかく、
「言語のすごさ」
を毎日、まいにち、ものすごく考え、痛いほど感じながら生活してました。
わたしは本当に英語が話せませんでした。
いや今も大して喋れないけど(笑)それでも、まだ何をどうやって伝えればいいのかは、わかるようにはなった。
高校生までは英語はひたすらリーディング、ライティング、リスニングとやってきた。大学でも医療英語を掻い摘んだけど、それっきりほぼ触れずに過ごしてきた毎日。
ほぼ英語なんて忘れたし、というか、英会話と学校英語って全く違う!っていうのを痛感しました、本当に。
文法はわかるんだよ、だって6年間、高校受験、大学受験のために死ぬほど詰め込んだから。
でも会話ってまた違くて、
例えば、レストランでビールありますか?
って英語で聞くとしたら、1年前のわたしは
Is there beer?
って聞くと思う。
「ある」=there
じゃない…?レベルでした。
こういうときは
Do you have beer?
でいいんだよって知り、
え!だって、そのウエイターさんビール持ってないやん!なんで、あなたがビール持ってますか?になるの??
ってまあ、今でも疑問ですけど、それで通じるってわかったし、それで実際通じてるから、オッケーなわけです←
youも「あなた」という意味が日本では前面に出過ぎてるせいで、「あなたたち」という意味にもなることがまだ未だに慣れません。
訓練中はもう少し伸びる予定だった英語ですが(笑)なかなか伸びず、それでも外国人も話す経験すらほぼ皆無だったわたしにとって、
「外国人と英語で話す」
という壁を乗り越えさせてくれたと時間だったと思います。
訓練が終わってからも、これじゃまずい!と思い、いろんな参考書を漁りました。笑
日本で普通に生活していたらきっとわからなかったであろう、
「自分の伝えたいことを伝えるために必要な英語力」
を訓練のおかげで知ることができました。だから参考書選びも変わってきたわけで。
そして赴任した今も英語は独学ながらもちまちまと勉強を続けています。1年3ヶ月でもう少し伸ばしたい。
今は現地語である、トンガ語を主に使って過ごしています。
活動先の人は英語もそこそこ話せるので、英語でも話してくれるけど、主にトンガ語。
同僚はとくにトンガ語話してたと思ったら、会話の最中に急に英語で話し出すから、
頭がトンガ語なのに、急に英語になって、パニクることもしばしば。笑
トンガ語も難しい。なかなかうまく繋げて話せなくて、単語を3.4語繋げて話すのが限度でもどかしい。
それでも今日の朝、同じクリニックで働く保健師さんが朝のお祈りに来なくて、最後にいつもドクターから申し送り的なのがあるんですが、終わった後クリニックに戻ったら、その人がいて、
「今日何話してた?」
とまさかのわたしに聞いてきたのです。
え?わたしに聞く?!?
と思ったけど、なんとかたどたどしくも、答えるわたし。
あとから来たもう1人の保健師さんからも聞いていたけど、それなりに合っていたようで、
その保健師さんからも、「あと何言ってたっけ?」ってわたしに聞かれ、おい!ってなったけど(笑)
わたしがトンガ語では説明できなかったけど、単語だけ覚えていた2単語だけ言ったら、
あー!ってなって、説明してくれて、
なんやかんや、リスニングも少しずつできるようになってるんだな〜〜と嬉しかった。
「ゴリラ語のシャワーを浴び続けてもゴリラ語がわかるようにはなりません。」
とある参考書で書かれていて、
本当にそうだなと感じるこの頃。理解しようとしなければ言語はわからないままだ。という意味ですね。トンガ語が雑音になったらもう終わりと思って、食らいついています。
そのかいあってか、会話の中でも面白いとくすって笑える回数が増えた気がする。
トンガ人から
「kata tomi〜〜!」(とみが笑ってる!)
と言われます。ちょっと嬉しい。
今の目標は、トンガ人の爆笑の中に混じれるようになること!
最終目標はジョークも言えるようになることだけど!笑
話を戻しますか
言語って本当にすごいですよね、
それを使うと本当に通じるから。
日本以外の国で、英語が伝わる国なら、日本語でどれほどふつうの文法で言ったところで通じなくても、英単語2.3個、最悪1語言えれば、通じちゃう。
言語を習得した人間ってすごいなーとそこまで遡ってしまいそうなくらい、わたしは言語のすごさに圧倒され、そして苦しんだ1年間でした。
でも、言語が大して話せなくても、友達だと思ってくれたり、家族の一員と思ったくれたり、仕事のパートナーと思ってくれたりもする、そういう人間そのものの温かさも感じることができた1年でもありました。
ではまた。
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