蚊帳の中の独り言。

青年海外協力隊 2017年度2次隊 トンガ 看護師

timi mafu と ark peace とか、援助のあり方って?

 

しばらく、ずっと濃い日々が続いてました。

そして、援助について、考えさせられた日々でもありました。

 

まずはtimi mafuの話から。

timi mafu はトンガ語であり、日本語にすると心臓のチームというところです。

2年に1回、オーストラリアのボランティア団体がリウマチ熱心疾患の早期発見のための心臓のエコー検査が行われています。

本当は5月下旬に行う予定でしたが、エウアに飛んでいる飛行機がその時飛んでいなかったということから、延期して今月になりました。

 

先週の土曜日(8/11)から、トンガタプからトンガ人のドクターがやってきました。

その前にリウマチ熱疾患というものの説明を。

 

発展途上国では、リウマチ熱の発症率が先進国に比べて高く、リウマチ熱の症状のひとつである、心臓の炎症により、心臓弁に永続的な損傷が残り、リウマチ熱心疾患が発症することが問題になっているそうです。

リウマチ熱に自体にかかるのが、5〜15歳の間が多いらしく、それも踏まえた上で小学生が対象にエコー検査が行われているようです。

 

リウマチ性心疾患を持った子供たちの治療薬、またそのよつな子供たちが再度のリウマチ熱にかかり、心臓の弁の炎症の再発予防のとして、28日に1回、benzathin(抗菌薬 ペニシリン系)の筋肉注射を基本的には21歳まで(21歳以降リウマチ熱にかかることはほぼないそうです)打っているわけです。

その数、エウアだけで約120人!!!

これについても忘れていたりして来ない子供たちもたくさんいるし、いろいろ大変なことが多いわけですが、そこの話はまた置いておいて。

 

土日は元々、ベンザフィン注射を受けている子たちのドクターの診察。

土曜日は朝9時から夜8時までクリニック、日曜日は夕方4時から夜9時まで。

わたしの役目はひたすらに血圧、脈拍、SPO2 、身長、体重を計る。それに加え、その子が2016年から3年間で、何回注射を受けているか数え、記録する。というのをずっとやっていました。

 

月曜日、火曜日は、オーストラリアから心エコー検査のボランティア団体がやってきて、GPS(小学校)全6校の全学年の心臓のエコー検査を行いました。

 

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最初は1年生と6年生だけと聞いていたのに、いつのまにか全学年の検査になっていた。。。

学校を周り、ひたすらにオーストラリア人2人とトンガ人1人がエコー検査をしているところの手伝いをしました。

拙いトンガ語でもオーストラリアの人たちよりは話せるから、子供たちを検査しやすいようにリラックスさせたりする手伝いを。

心臓血管外科、循環器で働いていたときもあったけど、心エコーだけはどうしても分からなかった…あんまりちゃんと勉強もしなかったからいけないんだけど……

こんな感じで一気にエコーを回していき、問題がある子や元々ベンザフィン注射をしている子などは重点的にみていました。

 

それと並行して、耳の聴力検査を行っていました。

来週トンガタプに補聴器を提供する団体が来るらしく、そこに行くべき子供たちを見つけ出すためです。

聴力検査といっても、とても簡易的なもので片耳を塞いでもらい、生徒の後ろに座って、1mほど離れたところから

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「ジージー、シーシー、パーパー」

というのを言い、生徒に聴こえていたら答えてもらうというもの。

なかなか静かな環境にもならず、ちゃんと聴こえているか、聴こえていないのかも定かではなく、ほんとにこんなのでいいのかとも思ったりもしたのですが、、、仕方がないことなのでしょう……

 

学校のエコー検査が終わると、夕方からはまたクリニックに戻り、2年前に行われたエコー検査のボーダーラインだった子供たちが来てエコー検査をしたり、学校で異常の診断を受けた子供たちが再度診察のやって来たり、元々ベンザフィンを打っている子たちのエコー検査であったりと…これも夜遅くまで行われました。

 

4日間、なんだか息つく暇もなくひたすらに働いていた気がします。日本でだったら全然平気で働けちゃうようなレベルのことが、こちらにきてゆっくりとしたペースに慣れてしまっていたこと、言葉の伝わらなさなどから疲労感はとても強かったです、、、

 

そして、今週の金曜日。昨日の話ですね。

中国の医療支援団体(ark peace)がやってきました。

運良く、お出迎えからすることができました。

中国に対して、反中感情が強いトンガ人たち。一体どんな対応をするのだろうと思ったら、

そこは見栄を張る気質のトンガ人ががっつり出ていて、なんだかなーと個人的にはモヤモヤとした一日でした。

それはさておき、空港では王族の貴賓席などに使われる椅子が並べられていて、びっくり!

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そして中国の団体は自家用ヘリコプターでやってきて、さすが中国となったわけで。笑

挨拶の終わりには、カフォワと呼ばれる手製の首飾りを一人一人にかけていく。

ふつうに中国人から中国語で話しかけられるわたし。

ごめんなさい、わたし日本人です。という感じでした(笑)

病院にはテントが張られ、机が出され、

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内科、呼吸器内科、整形外科、心臓血管科、皮膚科、耳鼻科があり、中国人の医師とトンガ人スタッフが席に座り、一人一人診察していくという形でした。

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薬局もありとても大量の薬剤支援もしていました。

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中国語わからないの?日本語と一緒じゃないの?といろんなスタッフから聞かれる、聞かれる(笑)

書いてある文字は似ているけど、喋れないし、わからないよ。と何回言ったことか(笑)

中国語と日本語って全然違うんだけどな〜〜知らなかったらわからないものか……

わたしはとくに役割もなかったので、準備の手伝いをしたけど、それ以降やることもなかったため、クリニックに戻ることに。

再度行った時に休憩時間中だったので、中国人の人と少しお話しができ、

トンガには1週間程度の滞在だそうで、船で来たからか、1週間くらいかかったとか??

日本人はこの病院には一人だけ?とかやはり同じアジア圏だからか興味を持たれました。笑

17時過ぎにまたヘリコプターでトンガタプに戻って行きました。

 

長々と書いてしまいましたが、援助にもいろいろな形があるなーと感じた1週間でした。

オーストラリアのエコー検査のようにトンガ人とエコーチームがタッグを組むと言ったら言い過ぎですが、協力し合って行なっている支援もあれば、

中国の支援のように、物資も人材も、どさーっとものすごい波のようにきて、一瞬で波のように去っていくかのような支援もあり、

私たちのように地道な草の根のような支援もある。

どれがいちばんいいとは言えないけど、いろいろと考えさせられます。

あまり考えても仕方がないことだし、私は私にできることを少しずつやっていくのみしかないですね。

気づいたら、あと1年と1ヶ月。

焦らず、自分のペースでやって行こうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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